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佐賀地方裁判所 昭和35年(ワ)242号 判決

原告

光石靖

右代理人

松下宏

被告

古賀幸信

右代理人

堤敏介

主文

被告は原告に対し金四〇万七、五〇〇円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を原告、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立て

一、原告

1  被告は佐賀県小城郡小城町字下町五〇七番にある被告所有の木造波形スレート葺平家建鍛冶工場の作業場二七、四〇平方メートル(別紙図面中赤線で囲んだ部分)につき、別紙仕様書記載のとおりの防音設備をなせ。

2  被告は右作業場で作業をするときは、その出入口、窓等開口部分を閉鎖しなければならない。

3  被告は原告に対し昭和三二年九月一日から第1項記載の防音設備をするまで一カ月金一万円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに第3項についての仮執行の宣言を求める。

二、被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二当事者双方の主張

一、原告の請求の原因

1  原告は、今次大戦前から佐賀県小城郡小城町字下町五〇四番、同所五〇六番各宅地に木造瓦葺居宅等の家屋を所有し、これに居住しているものである。右家屋は、西側が表玄関で道路に面し、奥行が長く、表の二階建部分(以下単に表の家という。)と裏の三階建部分(以下単に裏の家という。)から成り立つている。

2  前記原告宅地の北側に隣接する同所五〇七番とその北側の同所五〇九番の各宅地には、もと、被告の伯父である訴外古賀弥一が居住して、農具鍛冶を業としていたところ、同訴外人は昭和一八年九月八日に死亡し、被告が昭和二三年頃復員してここに居住することとなつた。被告は、まもなく、それまで右五〇九番の宅地の東北の部分にあつた右弥一当時の鍛冶工場を前記原告宅地との境界に近い右五〇七番宅地に移動させ、トタン葺、板壁の鍛冶工場約七坪五合(以下単に旧工場という。)を建築し、そこにベルトハンマー機を設置し、これを使用して農具鍛冶の作業を始めるに至つた。その後被告は引き続き旧工場において鍛冶作業をなしていたが、昭和四一年三月頃、旧工場の東側の位置(同番宅地上)に現在ある木造波形スレート葺平家建鍛冶工場(以下単に新工場という。これには、作業場二七・四〇平方メートルのほか附属の工具室、物置がある。)を新築し、旧工場を取り毀わして、そこにあつたベルトハンマー機を新工場に据え付け、同月一五日から新工場で鍛冶作業を開始し、現在に至つている。

3  被告は、農具製造を業としているものであつて、旧工場当時から新工場の現在までその鍛冶作業に従事する日数は一カ月平均二七、八日位であり、一日の作業時間は早朝五時ないし七時頃から夜八時ないし一〇時頃までであるが、右作業時間中は、ベルトハンマー機を使用して、鍬、鎌等の金具を鍛打するため、ダ・ダ・ダ・ダという一回数十打の強烈な断続音を発し、その音響は相当強いものであつて原告の家屋のうち道路に面した表の家まで伝播してくる。新工場になつてからの右騒音は、旧工場のときに比して幾分低下しているとはいえ、なお原告宅地の新工場側境界附近で八四ホン、原告の裏の家三階で六五ホンであり、この附近が閑静な住宅地域であることからして、右騒音は明らかに原告の社会生活上の受忍限度を超えているものである。

4  原告は、被告が旧工場で鍛冶作業を始めた頃から右騒音に悩まされ、再三、直接または近隣の者を介して被告に対し、右作業の中止または騒音の防止について善処方を要望したが、被告はこれに応ぜず、本訴係属中、前記のとおり新工場を建築しながら、なお十分な防音設備をしていない。したがつて、旧工場および新工場から発した騒音の原告家屋への侵入は、被告の故意かもしくは少くとも過失にもとづくものである。

5  原告は、旧工場で鍛冶作業が開始されてから新工場でそれがなされている現在まで、連日その工場から侵入してくる右騒音のため、神経を刺激され、感情が高ぶつて不快感を覚え、食欲不振、胃腸障害を起し、不安、焦燥の念にかられて神経衰弱、不眠症となり、アトラキシン等の精神安定剤やアドルム等の睡眠薬を常用している状態であり、その結果、思考力や注意力が散漫となり、記憶力は著るしく低下し、高校の教諭をしているが、その職業上必要な勉強もできない。また子供の勉学、妻の日常生活にも支障が生じ平穏なるべき家庭を害されていることにも一家の主人として苦悩しており、その蒙つている精神的苦痛は著るしいものである。

6  さらに右騒音のため、原告の裏の家一階居室二間、三階居室一間は住いとして使用することができない状況にあり、その利用価値が全く失われている(右家屋部分を賃貸しようとしても借手がない)ので原告は右家屋部分の賃料相当額の損害を蒙つている。

7  そこで、原告は被告に対し、その生活権および家屋所有権に基づき、被告新工場から発せられる騒音の侵害排除を求めるのであるが、新工場から発する音量を原告の受忍限度とすべき原告宅地との境界附近で六〇ないし六五ホン、原告の裏の家三階で四〇ホンとするためには、新工場の作業場につき別紙仕様書記載のとおり防音設備をし、かつ、右作業場で作業をするときはその開口部分を閉鎖する必要があるので、右措置をとることを被告に対して請求する。

8  そして、原告は被告に対し、右のほか、昭和三二年九月一日から原告が蒙り、かつ、右防音設備がなされるまで蒙るべき前記の精神的苦痛に対する慰藉料として一カ月金五、〇〇〇円、前記6の財産的損害に対する賠償金として一カ月金五、〇〇〇円、以上合計一カ月金一万円の割合による金員の支払いを求める。

二、被告の答弁

1  原告主張の請求原因1、2の各事実はいずれも認める。

2  同3の事実のうち、被告が農具製造を業としているものであること、および被告工場でベルトハンマー機を使用して、鍬、鎌等の金具を鍛造するため、ダ・ダ・ダ・ダという一回数十打の継続音を発することは認めるが、その余の事実は否認する。被告はベルトハンマー機を農具製造上必要最少限度の打撃力をもつて操作しているのである。被告の鍛冶作業従事日数は一カ月平均二〇日位であり、一日の作業時間は午前七時ないし七時半頃から午後六時ごろまでである。そして、ベルトハンマー機の使用は、一日のうち約三〇分間ないし二時間にすぎない。

3  同4の事実は否認する。被告の新工場は防音設備がなされており、現状で防音効果は十分である。

4  同5、6の各事実はいずれも否認する。

5  同8の事実は争う。

第三当事者双方の証拠関係≪省略≫

理由

一原告家屋と被告工場の状況

原告が今次大戦前から佐賀県小城郡小城町字下町五〇四番、同所五〇六番各宅地にその主張のような家屋を所有し、ここに居住してきたこと、被告が昭和二三年頃右原告宅地の北に隣接する同所五〇七番の宅地上にトタン葺、板壁の鍛冶工場旧工場を建築し、そこにベルトハンマー機を設置し、これを使用して農具鍛冶作業を始めたこと、そして被告が昭和四一年三月頃に至り右旧工場の東側(同番宅地上)に木造波形スレート葺平家建鍛冶工場新工場を新築し、旧工場を取り毀わしてそのベルトハンマー機をここに据え付け、同月一五日から右新工場で鍛冶作業を開始し、現在に至つていることは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によると、原告家屋の形状および間取り、旧工場の位置およびその中に設置されていたベルトハンマー機のハンマーの位置、新工場の位置、形状およびその中に設置されているベルトハンマー機のハンマーの位置は別紙図面記載のとおりであること、原告家屋の北側すなわち被告工場側の壁は土壁であつて、その外側をさらに板で覆われており、その中間の家の切れ目の庭があるところは高さ五尺のレンガ塀となつていること、旧工場はトタン葺(ただし東側の流れは瓦葺)木造平家建で東西に約八米、南北に約六・一米の大きさであり、北側は戸も壁もなく開放され、西側は板壁、東側は腰高の板壁とその上方は格子のみ、南側は板壁であるが高さ約半間、巾約一間の格子のみの明りとりがあるという状況で防音効果のほとんどない建物であつたこと、新工場は母屋に当る鍛冶作業場(面積約二七・四〇平方メートル)、その南側の物置場(面積約一〇・五〇平方メートル)、鍛冶作業場西側の工具室(面積約一六・六〇平方メートル)の三つの区分された部分からなり、屋根は波状石綿スレートで、鍛冶作業場のみ屋根の下に木毛ボードが張られ、鍛冶作業場の西側、工具室との境および南側、物置場との境はいずれもブロック塀(いずれも二カ所に採光のため小窓がはめ込まれている。)でその余の周囲は出入口を除きいずれも腰高のブロック積みの上に引違いのガラス窓が設けられ、窓の上屋根までは波状スレートで囲まれており、さらに新工場の南側の原告宅地との境界附近に防音のためブロックを七、八段積みその上に四尺のスレートを継ぎ足した塀が設置されていることが認められる。

二本件騒音の発生

<証拠>に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  被告は、昭和二〇年九月頃復員して、肩書住所地に居住し、その頃から農具製造業を始め、最初は手打ちで鍛冶作業をしていたが、昭和二三年頃から大隈式ベルトハンマー機を旧工場に設置し、これを操作して鍛冶作業を続けてきた。ところが、右ベルトハンマー機が旧式のもので故障がちであり、かつ、能率の悪いものであつたので、被告は昭和三五年頃、新しく越前式ベルトハンマー機四号機(槌の重さ約二四キログラム、クラッチ毎分約三七〇回転、二馬力)を購入して、これと取り替え、その後旧工場のときから新工場の現在までこれを使用して鍛冶作業を行つてきた。

(2)  これらベルトハンマー機はいずれも焼きを入れた鍬、鎌等の金具を鍛えるために操作するもので、一区切り数十打のダ・ダ・ダ・ダという断続的打撃音を発するものであり、その打撃音はかなりの高音で周囲に響き、原告家屋内にも伝播していたし、現在も伝播する。

(3)  被告は、農具鍛冶を始めた頃かな現在まで、平均月二、三日休むほかは毎日操業しており(病気その他で一、二カ月休業したことはある。)、一日の中、ベルトハンマー機を使用するのは大体午前七時半か八時頃から午後五時ないし六時頃までが普通であつたが、早朝六時ないし七時頃から始めたり、夜九時ないし一〇時に及んだこともしばしばで、特に昭和三四、五年頃には夜七時以後に及ぶのが操業日の半分位というであつた。しかし、最近、少くとも新工場に移つてからは、被告は午前八時以前および午後七時以後はベルトハンマー機を使用する作業をしていない。

(4)  被告は右の時間内においてベルトハンマー機を使用していたが、その間、間断なくこれを使用していたものではなく、他の作業と交互にするので、ベルトハンマー機を使用して鍛冶作業をするのは稼働時間の半分位であり、しかも、その鍛冶作業中も鍛材の火造りをする時間があるので、実際にベルトハンマー機を動かしていた時間は限られていた。例えば、鍬一丁の製造時間は約一時間二六分であるが、そのうちベルトハンマー機で鍛打する時間は約一分一五秒にすぎなかつた。

以上の事実が認められ、<証拠>中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして信用しない。

三本件騒音の音量

原告が本訴において救済を求める利益ないし権利は、原告家屋内における生活の静穏と原告家屋の利用価値であるというのであるから、被告工場からの騒音がそれを侵害するものであるかどうかは、原告家屋内における音量を基準として判断しなければならない。そこで、原告家屋において被告工場からのベルトハンマー機より発する騒音の音量がどの程度であるかを判断することとする。

(1)  旧工場のときの騒音の音量

<証拠>によると、旧工場にあつた新ベルトハンマー機により鍬を鍛打したときの音量は、原告家屋窓を開放して、

イ  昭和三六年一〇月五日測定当時 裏の家一階イ点(別紙図面記載の地点を示す。以下同様。)七一デシベル、イ′点七五デシベル、同三階ハ点七一デシベル、表の家一階ニ点六二デシベル、同二階ヘ点六二デシベル、ヘ′点六一デシベル、

ロ  昭和三八年五月三〇日測定当時 裏の家一階イ点五八ホン、表の家一階ニ点四〇ホン、同二階ヘ点四九ホン、

ハ  昭和三九年一二月二三日測定当時 裏の家一階イ点六九ホン、イ′点七二ホン、ロ点六九ホン、同三階ハ点七〇ホン、表の家一階ニ点五四ホン、ホ点六五ホン、同二階ヘ点六二ホン、ヘ′点五四ホン、

ニ  昭和四〇年一〇月二七日測定当時 裏の家一階イ点およびイ′点とも七〇ホン、表の家一階ニ点およびホ点とも六〇ホン、同二階ヘ′点六一ホン

と各測定されたことが認められる。

そして、<証拠>によると、右各測定時を通じて旧工場および原告家屋の状態に変わりはなく、またベルトハンマー機も同一のものであるのに、同じ場所での音量が測定のつど異つているのは、打撃力に差異を来すことになるベルトハンマー機のベルトクランクの回転数の調節およびペタルを踏む力加減がそのつど違つていたことによるものであり、昭和三八年五月三〇日の測定中に発していたベルトハンマー機の打撃音は、普段のそれよりも特に低かつたことが認められる。

そこで、右認定事実に弁論の全趣旨を総合すると、旧工場にあつた新ベルトハンマー機から発せられていた騒音の音量は、平均して、原告の裏の家一階および三階の居間で七〇ホン前後、表の家一階および二階の居間で六〇ホン前後であつたと認めるのが相当である。そして、<証拠>による、旧ベルトハンマー機から発せられていた騒音の音量は、右新ベルトハンマー機のそれよりもやや高いか少くとも同じ位であつたことが認められる。

(2)  新工場になつてからの騒音の音量

<証拠>によると新工場のベルトハンマー機により前同様鍬を鍛打したときの音量は、原告家屋および新工場の窓ともに開放して、昭和四一年九月八日鑑定当時裏の家一階イ点四八ホン、同三階ハ点六五ホン、表の家一階ニ点四五ホン、同二階ヘ点五二ホンと測定されたことが認められ、これが平常の音量と異なることを認めるべき証拠はないから、右測定の音量をもつて被告新工場から平常侵入していた音量であると認めるのが相当である。

四本件騒音の違法性

(一)  一般に工場における操業は正当な権利の行使であるから、そこから発する騒音が自己の支配する土地の外に及び他人の利益ないし権利を侵害することがあつても、それが一般人の社会生活上受忍すべきであると考えられる限度内にとどまる場合には違法性がなく、その限度を超える場合にのみ違法となるのである。そして、その受忍すべき限度は、一般的に騒音の種類・性質、その請求の身体・精神に及ぼす影響、行政的騒音取締法規の定める制限音量、被害場所の地域性・四囲の環境などの諸事情を考慮して決せられるべきものである。

そこで本件についてこれらの事情を判断する。

(1)  本件騒音の種類、性質とそれが身体・精神に及ぼす影響

<証拠>を総合すると、原告家屋に侵入する本件騒音は、被告が業としている農具製造の鍛冶作業に使用しているベルトハンマー機の打撃音であるが、その音はダ・ダ・ダ・ダという一区切り数秒間に二、三〇回発する断続音であり、しかも高音で衝撃的な音であること、そしてこの音は同じ程度に聞える他の騒音、例えば自動車の音などと比べてもうるさく感じられ情緒的な影響を与えやすい音であることが認められる。

(2)  行政的騒音取締法規の定める制限音量

被告工場の所在地である佐賀県小城町において適用されるべき行政的取締法規は現在のところ存しないので、近隣の県のそれをみるに、<証拠>によると、福岡県の騒音防止条例(昭和三〇年四月一日福岡県条例第一一号)は、制限音量の基準として住宅地域で午前六時から午後一一時まで五〇―四五ホン、商業地域、工業地域、準工業地域で午前八時から午後七時まで六五―六〇ホン、午前六時から午前八時までおよび午後七時から午後一一時まで六〇―五五ホンと定め、また午後一一時から翌日の午前六時までは近隣の家屋における睡眠を妨げない程度の小音とすると定めており、熊本県騒音防止条例(昭和三三年一〇月一八日熊本県条例第四一号)は、制限音量の基準として住宅地域で午前八時から午後七時まで五〇ホン、午前六時から午前八時までおよび午後七時から午後一一時まで四五ホン、午後一一時から翌日午前六時まで四〇ホン、商業地域、工業地域および準工業地域で午前八時から午後七時まで六五―六〇ホン、午前六時から午前八時までおよび午前七時から午後一一時まで六〇―五五ホン、午後一一時から翌日午前六時まで五〇―四五ホンと定めていることが認められる。

(3)  原告家屋の所在地の地域性と四囲の環境

<証拠>によると、原告実屋所在の佐賀県小城町は都市計画法による都市計画区域の指定をうけてはいるが、建築基準法第四八条に定める用途地域の指定はうけていない地域であること、原告家屋は西向きでその表は南北に通ずる巾七米位の舗装道路に面しており、原告家屋の並びおよび向い側の建物のほとんどは商店であつて、工場としては被告の本件工場が存するのみであることそして表通りは自動車の往来も少なくないが、原告家屋の並びの家の裏側は荒地、畑、田、墓地などであつて静かな場所であること、したがつて原告家屋の周囲は商業地域と住宅地域の中間ともいうべき地域であることが認められる。

以上の事実に弁論の全趣旨を総合して考えると、被告工場のベルトハンマー機から発する騒音の原告家屋内における音量が、午前八時から午後七時までの間(以下この時間を昼間という。)に五五ホン、午前六時から午前八時まで(以下この時間を早朝という。)および午後七時から午後一一時までの間(以下この時間を夜間という。)に四五ホン、午後一一時から翌日午前六時までの間(以下この時間を深夜という。)に四〇ホンを超えている場合には、一応受忍すべき限度を超えている、すなわち違法な侵害であるとするのが相当である。もつとも、これは原告家屋に侵入する騒音を全体的、平均的にみた一応の基準であるから、平常右各ホン数以内の騒音がたまたま一時的にそれを僅か上回るとか、原告家屋内の片隅で右音量を僅か上回つているにすぎないような場合に、直ちにそれをもつて違法な侵害があるといえないことはいうまでもない。

(二)  ところで、<証拠>によると、原告は妻子とともに表の家の一階と二階で生活をし、裏の家は他人に貸していたこともあり、これを使用しなくともその生活には格別支障がない(これを利用できないことによる経済的損失がかりにあるとしてもそれは別である。)ことが認められるので、原告の生活を侵害すべき騒音というのは表の家におけるそれであつて、裏の家のそれは一応関係がないというべきである。そして、裏の家の利用価値が低下しているかどうかは裏の家における騒音によつて決せられるべきであることはいうまでもない。

そこで、前記認定の騒音の音量が、右受忍限度の基準に照らし、原告の被救済利益ないし権利である生活の静穏および家屋の利用価値との関係で違法であるかどうかを判断する。

(1)  旧工場のときの騒音の違法性

イ 原告の生活の平穏に対する関係では、表の家での騒音の音量が六〇ホン前後であることは、さきに認定したとおりであるから、一日中、何時であつてもベルトハンマー機による騒音は前記の受忍限度を超えており、違法である。

ロ 家屋の利用価値に対する関係では、裏の家での騒音の音量が七〇ホン前後であることは、さきに認定したとおりであるから、一日中、何時であつてもベルトハンマー機による騒音は前記の受忍限度を超えており、違法である。

(2)  新工場になつてからの騒音の違法性

イ 原告の生活の平穏に対する関係では、表の家で騒音の音量が四五ないし五二ホンであることは、さきに認定したとおりであるから、昼間のベルトハンマー機による騒音は受忍限度内であつて違法ではないが、早朝・夜間および深夜のそれは前記の受認限度を超えており、違法となる。

ロ 家屋の利用価値に対する関係で考えるに、家の利用価値は各居室を単位として区別することができるところ、本件においては、裏の家の一階の居間と三階の居間とでは騒音の音量が前認定のとおり相当異るので、それぞれについて判断する。

(イ) 裏の家の一階の居間では騒音の音量が四八ホンであることは、さきに認定したとおりであるから、昼間のベルトハンマー機による騒音は前記の受忍限度内であつて違法性を欠くが、早朝・夜間および深夜の騒音は違法となる。

(ロ) 裏の家の三階の居間では騒音の音量が六五ホンであることは、さきに認定したとおりであるから、一日中、何時であつてもベルトハンマー機による騒音は前記の受忍限度を超えており違法である。

五原告の損害

原告が被告工場からの違法な騒音により蒙り、または蒙つている損害は次のとおりである。

(1)  旧工場のときの損害

イ  生活妨害による損害

前記認定事実(騒音の発生、騒音の種類・性質とそれが身体・精神に及ぼす影響)に<証拠>および弁論の全趣旨を総合すると、原告は高等学校の化学の教諭であり、表の家で一日中生活をしまたは仕事をしているものではないが、勤務時間を除いてはここに起居しており、職業上自宅でも読書その他教科に必要な勉強をしなければならないこと、しかるに本件ベルトハンマー機の発する打撃音が聞えると神経が刺激されて不快感を覚え、思考力、注意力の減退をきたしやすく、特に早朝、夜間では睡眠を妨害され、そのため食欲不振、胃腸障害を起したり、神経衰弱気味になつたりしたことがあり、精神安定剤や睡眠薬を用いることもしばしばであつたこと、また二人の子供の勉強にも支障があるので、父親として心配をしていたこと、が認められ、右認定事実によると原告は精神上相当の損害を蒙つていたというべきである。

ロ  家屋の利用価値低下による損害

原告が表の家においてですらその生活を妨害されていたこと右認定のとおりである以上、仮りに前認定のとおりそれより騒音の音量が高かつた裏の家一階および三階に居住していたとするならば、なお一層の生活妨害を受けたであろうことはいうまでもないところであるから、裏の家一階および三階居間は一般人が平穏な生活を営むべき場所としての価値を本件騒音によつて侵害されていたと認めるべきである。しかし、<証拠>によつて認められる、近藤分作が昭和二五年頃約四カ月間、千々岩梅春の家族が昭和三三年から昭和三六年初め頃まで(賃料月額二、五〇〇円)、矢川義明が昭和三六年四月から昭和三七年五月頃までそれぞれ裏の家の一階を賃借りして居住していたことからして、本件裏の家一階および三階の居間の利用価値が全くなかつたとまではいえないことが明らかである。したがつて原告は右居間の利用価値が低下したことによる損害を蒙つていたものということができる。

(2)  新工場になつてからの損害

イ  生活妨害による損害

表の家での昼間の騒音が違法な侵害とはいえないことは前記のとおりであるから、これによる損害は存在する余地がない。また早朝・夜間および深夜の騒音が違法となることは前記のとおりであるが、新工場に移つてからは、右時間内の騒音の認められないこと前認定のとおりである以上、その損害は存しないものとしなければならないものである。もつとも、新工場移転以前にはかなり早朝または夜間でも騒音が発せられていたことは、これまた前認定のとおりであるから将来そのおそれがないとはいえない。

ロ  家屋の利用価値低下による損害

(イ) 裏の家一階居間については、右と同様であつて、これまで違法な騒音による損害はなく、将来そのおそれがあるにすぎないこと、前記のとおりである。

(ロ) 裏の家三階昼間は、前認定のとおり、六五ホンの違法な騒音の侵害を受けており、前認定の旧工場のときの六〇ホンで原告の生活が害されていたことからすれば、右音量は平穏な生活を営むべき場所としての価値を低下させるに足りるものであるから、右居間の利用価値低下分の損害を受けていることが明らかである。

六被告の妨害排除義務

原告の防音設備設置、開口部分閉鎖の各請求について判断する。一般に人格権(生活の妨害は身体的肉体的自由に対する侵害であるから人格権の侵害と考えるべきである。)または所有権を侵害され、もしくは侵害されるおそれのある者としては、これが妨害の排除もしくは予防の請求権を有するものであるが、そのような侵害があるからといつていついかなる場合でも必ずそれらの請求権を有し、かつこれらを行使しうるものとしなければならないものではない。すなわち、侵害が社会生活上受忍すべき限度を超え、違法であつても、なお妨害排除ないし予防請求権を有するか否かは、これを有するとすることによつて生ずるであろう加害者の犠牲の程度とこれを有しないとすることによつて生ずべき被害者の不利益の程度とを比較考量したうえで決すべきものである。この点違法な侵害があれば(もちろん過失を要するが)必ず成立する不法行為による損害賠償請求権とその趣を異にするのである。

そこで、まず、原告主張の防音設置を被告に、もしくは被告の負担において設置させることによつて生ずるであろうところの被告の犠牲の程度を考えてみる。<証拠>によると、新工場につき原告主張のような防音設備をし、かつ、その出入口、窓等開口部分を閉鎖することにより現在より騒音を一〇デシベル低下させることができ、そうすれば原告家屋三階ハ点における音量が四〇ホンとなることが認められる。しかし、問題は、右のような防音設備をすることが被告の企業の規模ならびに経済力から可能であるかどうか、および右防音設備をすることにより被告の鍛冶作業に支障をきたさないかどうかにあることは、前記のところからして、おのずから明白であるところ、<証拠>によると、被告が現在の新工場の建物を建築するのに五〇万円の費用を要したこと、および被告が本件工場の経営により得ている収入は月平均して三万円ないし三万五、〇〇〇円であることが認められ、この事実からすると、原告主張のような防音設備をすることは、右新工場建築費よりも遙かに多額の費用を要し、被告工場の規模からは、経済的にも相当困難であることが明らかである。のみならず、<証拠>によると、原告主張の防音設備は、もつぱら防音効果の面からのみから考えられたものであつて、換気のための換気扇を設けることとされてはいるけれども、工場内の温度については配慮がなされていないので、かりに右のとおり設備して窓を閉じた場合には、鍛冶作業に必要な重油バーナーのために工場内の温度が上り、特に夏においては到底作業ができない高温とならざるをえないこと、したがつて右防音設備をほどこしたとすれば、被告の鍛冶作業上相当の支障の生ずるであろうことが認められる。これに対し、右防音設備がなされなかつた場合に原告に生ずべき不利益は、現状では裏の家三階居間の利用価値の低下による損害にすぎないことは、前記のとおりである。この被告の犠牲の程度と原告の不利益の程度とを比較すれば、被告の犠牲の方が相当かつ重大であることが明らかであるから、原告の被告に対する右防音設備設置の請求は、これを容れることができない。したがつて、右防音設備の設置を前提とする原告の被告に対する作業時の作業場開口部分の閉鎖を命ずる請求も、すでにその前提において理由がない。

七被告の損害賠償義務

前記認定事実(騒音の発生)によると、被告は旧工場で鍛冶作業を始めた頃から原告から苦情があつて本件ベルトハンマー機の操作による騒音が原告家屋内に侵入していたことを知つていたのであるから、右騒音により原告が損害を蒙ることを知つていたかまたは知ることができたはずである。それにもかかわらず、被告がなお継続して右騒音を発してきたことは被告の故意または少なくとも過失による不法行為というべきであり、被告は、右騒音により原告が蒙つた損害を賠償すべき義務を負うものである。その賠償すべき額は次のとおりであつて、それらを合算すると、金四〇万七、五〇〇円となることが計算上明白である。

(1)  旧工場のときの損害額

イ  生活妨害による慰藉料

前記認定の原告の蒙つた精神的損害の程度、本件騒音の性質・程度、本件騒音が発せられた日数および一日における時間その他一切の事情を斟酌すると、原告が旧工場からの騒音により昭和三二年九月一日(原告の請求による。)から昭和四〇年一二月三一日(被告本人尋問(第二回)の結果によると、被告が旧工場で操業をしていたのはこの日までであつたことが認められる)までの精神的苦痛に対する慰藉料の額は金三〇万円(月平均三、〇〇〇円)と認めるのが相当である。

ロ  裏の家の利用価値低下による損害額

<証拠>によると、裏の家の昭和三二年一月一日から昭和三五年一二月三一日までの地代家賃統制令による賃料月額は金二、九七一円、昭和三六年一月一日から同年一二月三一日までのそれは金二、九一五円であつたことが認められ、右事実に、前記認定の本件騒音の性質および裏の家における音量の程度、本件騒音の発せられた日数および一日における時間、原告が裏の家を他に賃貸していたことなどを合わせ考えると、裏の家の昭和三二年九月一日から昭和四〇年一二月末日までの間の本件騒音による利用価値の低下による損害額は金一〇万円(月平均一、〇〇〇円)と認めるのが相当である。

(2)  新工場になつてからの損害額

裏の家三階の居間の利用価値低下による損害額

右認定の裏の家全体の相当賃料月額に、前記認定の新工場になつてからの裏の家三階における本件騒音の程度、本件騒音の発せられた日数および一日における時間、裏の家三階の広さなどを合わせ考えると、料工場においてベルトハンマー機が操作され始めた昭和四一年三月一五日から本件口頭弁論終結の日である昭和四二年六月一五日までの裏の家三階の利用価値低下による損害額は金七、五〇〇円(月平均約五〇〇円)と認めるのが相当である。

なお、原告は将来の損害賠償を予め請求しているが(もつとも原告は被告に防音設備設置義務があることを前提としてその履行までの損害賠償を予め請求しているものであるが)、将来原告に生ずる損害額を現在確定することができないので、右請求を認めることができない。

八結 論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は損害賠償につき前記認定の範囲において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。(桑原宗朝 人見泰碩 野間洋之助)

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